久しぶりに心がドーンと鳴るようなことがありました。
初めて、自分のブログ宛に中傷コメントを受けたんです。
それを受け取った時、「は?なんで?まじで。。。」
的な、驚きとショックと腹立ちさの感情、いわゆるネガティブ感情マックスになりましたね。
でもその反面、今までに経験したことがなかったからワクワク感を持ったのも事実。
ドMですか?w
この相反する二つの感情が現れたことで、自分を見つめ直すいい機会になりました。
ざっと早み表
コメントが個人攻撃な内容

もし、コメント内容がブログに対して間違いを指摘してくれる内容とかであれば、こちらもすぐに対応とるのですが、
今回貰ったコメントは、まるで小学生のような幼稚で意味不明な批判コメントでした。
いわゆる「おまえぶす」とか「むかつく」といった感じのメールのようなやつです!
こういうコメントをしてくる人は、単にこちらの反応を面白がっているだけなのだと、
いろいろなブロガーさんたちも言っています。
なので、今回は丁寧に削除させていただきました。
私の考え
こういうネガティブな感情を、わざわざネガティブな言葉や行動にできる時間も精神力もあるなら、何でもっと自分の為になることに使わないんだろうって思います。
あーもったいない。
私のブログを読んで納得できない、腹がたったと思うところを言ってくれたら、口論でもできたのに。。。
いやこの口論という言葉が適切なのか分からんが。。
母との関係
そんなことを思いながら、この出来事と『自分と母の関係』が重なりました。
今は遠く離れて暮らしているので、喧嘩することもないんですが、それでも毎回日本へ帰国する度に口論になります。
母から言われる言葉
喧嘩の理由は些細な事で始まり、最終的に母が
「あなたは普通じゃない」とか「あなたは他の人とは違う」と言い放ち、
その場を立ち去ってしまうので解決しないままで終わってしまうことも多々。。

10年前の私(日本で暮らしていた頃の私)は、母にそう言われることが、とても辛く胸が苦しかった。。。
「自分が人とそんなに違うのか?普通の人間ではないのか?何が違うの?人と一緒でないことはダメな事なのか?」
と鬱になるくらい悩み、家族に心を閉じてしまうようになりました。
Being different =being yourself =being unique

「(人と)一緒じゃないこと=ありのままの自分であること=個性になること」
っていう感じの意味です。(自己解釈)
この言葉は娘の通うチャイルドケアで見つけました。
そういった事を小さい頃から教わる環境って素敵やと思います。
だって私はそういう環境でないところで育ったから、母は私を受け入れられなかったんだと感じるからです。
でももう違います。
自分は多国籍の人と住むオーストラリアで生きるようになって価値観が180度変わり、
普通でないと言われてきたことに悩むこともなければ、苦しいと感じることもありません。
だから、母に言い続けるのは、
「自分はお母さんが思う普通でないと思う!むしろ普通でなかったから海外に出れて、外国人の旦那と出会い、幸せな家族を作ることができた。」
って。
それでも母にはなかなか伝わりませんが。。泣
私の普通は誰の普通でもないし、コモンセンス(常識)は一緒ではない。
もし同じところが見つかったら面白いよね!くらいの気持ちで、ここで生活しています。
批判コメントから視えた自分
だから今回の批判コメントに対しても冷静に考える事ができたんです。
今の世の中、インターネットでググればたくさんの情報を得られる時代です。
その中で私のブログに訪れてくれて、読んでくれて更にありがたいです。
もちろん読んでくれる人の中には、私を批判したくなる人もいると思います。
うん、それはそれでいい!
だって私とその人は一緒じゃないから。
私は、みんなに好かれたいからブログを書いてるわけでもなくて、
自分という人間を表現できるツールとしてブログを書いているんだと、改めて気付ける機会になりました。
さーもっとブログ書こう!
今日も読んでいただきありがとうございました。
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