ざっと早み表
初めまして、日本脱走ブロガーmaikoです

25歳の時に日本で仕事と人間関係に消耗し脱走してシドニーへ。
ワーホリビザ2年→観光ビザ3ヶ月→学生ビザ2年→パートナービザ2年→永住権
現地で夫と出会い国際結婚。すぐに子供が生まれて現在シドニーで暮らして10年目。
趣味は料理、カフェ巡りに、写真撮ること。インスタで投稿中!!
家族との時間を大切に日本ではありえないくらいのんびり暮らしていますw
20才 初めての社会人を経験
大阪の専門学校を卒業して地元(徳島)で某有名な車会社で事務員として就職。
そこで初めて社会人を経験しました。
- 下っ端はほぼ毎日誰よりも朝早くから始まり、夜中までの残業(もちろんサービス残業)
- 1日休めば2日分の仕事量
- 休日に家で仕事
- 友達との付き合い無くなる
その当時はまだブラック企業という言葉はなく、そういうのが当たり前の社会人生活でした。
働き出して9ヶ月たった頃、「こんな仕事中心の生活をしたいんじゃない」と気付き退職。
両親が離婚してから母親と暮らしていましたが、仕事を辞めたことがきっかけで母親との喧嘩は増え、耐えれず家を出ました。
21才 昼は事務員、夜はホステスで二足のわらじ
一人暮らしをするようになり、生活費を稼ぐ為に昼間はオフィス、夜はスナックと二つの仕事を掛け持ちして働くように。
お金に対してシビアに考えをもつようになったのもその頃からです。
ただ働くのでは何も得られないからお金を稼ぐ以外に三年間は続けて働くことを目標に働きました。
石の上にも三年ってやつです!
生活に困らないお金は十分あったのですが
- 衝突の多い人間関係
- 激しく虚しい異性関係
- 偽りの自分への葛藤
- うまくココロを開けなかった家族関係
の三年間を過ごしました。もちろんいいことがなかったわけではないのですが、嘘と偽りの毎日。
ココロもカラダも消耗していたと思います。
24才 日本から脱走に向けて準備
もうどこかに行って自分の人生をリセットしたいと思うようになり、環境を変える準備を始めました。
でもどこへ行く?県外?海外?
- パスポート使いたいなー
- 英語の勉強したいなー
- 人が穏やかで比較的治安がいい
- 自然が多く住みやすい
オーストラリアのシドニーに決めました。
海外で新しい生活、新しい未来がスタートするんだと思うと
やっと暗闇に光が差し込んだように晴れ渡り、考えるだけでワクワク、ドキドキしました。
だから何もかもに良い意味で吹っ切れていました。
25才 シドニーでの生活スタート

〈ワーキングホリデー時代〉
ワクワクドキドキで着いたシドニー。
右も左も分からない全てゼロからのスタートで直ぐに壁にぶちあたる
- 言葉が通じない
- 家族や友達のいない孤独感
- 文化、習慣の違い
- 慣れない環境
ホームシックで帰りたくなったのは言うまでもないです。
だけどそれは想定内w
泣いてても何も変わらないし、後ろ向きになる自分を奮い立たせることに集中!!
とりあえず、毎日少しでも出来ることが増えるようにチャレンジしました。
少しづつできることは増え友達も出来てきましたが
それでも環境の変化になかなか付いていけず。。。。とても悩んだし、孤独で、
ココロとカラダはかなりのストレスを受けていました。

気付けば頭に500円玉くらいのハゲ、体重は10キロ増!!
鏡の前に立てば、この写真のように醜く見え、こんなの人生で初体験でした。
日本と同じ生活を外国でしていたらダメだと気付き、生活を徐々に変えることにしました。
私が変えた事
例えば、お菓子だけの食事にしない、コーヒーの飲み過ぎやめる(3杯まで)、エクササイズをする、水を飲む、お酒は飲み過ぎない!!
など生活を変えたことで体重はもとに戻りました。
その頃から少しづつ英語にも慣れてきて、友達とカフェやレストランに出かけていく事も増え、
いつか「ローカルで英語を使って働きたいなー」って思うようになっていました。
ローカルに挑戦はしたものの、仕事で使えるだけの英語力が無く全く雇ってくれずでした。。。泣
他にも色々な仕事にチャレンジ!!
- 日本食レストランでウェイトレス
- パン屋で販売
- 掃除屋
- 引越し屋
- マッサージショップ
- ナイトクラブでボーイ
自分はこの先、何がしたいのか分からずモヤモヤする毎日。
モヤモヤする毎日を脱出する為に「英語を磨くこと、生活費を稼ぐ事」に自分を集中させました。
出会いは貴重な財産!
また、仕事で縁あって色々な人との繋がりができ、
色んなことを経験させてもらえました。
色んな事を経験するようになって「自分で何かしたい」と思うようになったのはこの頃です。
何をするか考えた結果、自分でクレープをマーケットで売るというビジネスを思いつきました。
オーストラリアは週末にマーケットが至るところで開催されています。
だから、色んな所のマーケットに出店依頼のレターを送ったり、支配人に直接会いに行ったり、機械も日本から取り寄せ、毎日レシピを考えては試作品を作る毎日でした。
そんな頑張ったかいもあって、あるマーケットから出店許可がおりクレープをマーケットで売る事成功!!!!
が、、、
クレープはあまり売れず、マーケット側からも断られてしまいました。。。二回で終了。。
でも諦めたくなくて、マーケットがダメなら、コンビニに置いて貰おうと、日系のコンビニとローカルのコンビニにお願いしに回りました。
ラッキーな事に置かせて貰える事になり、ビジネスも楽しくなってきたところでビザが終了。
帰国しないといけなくなって、2週間後にシドニー観光ビザで帰ってきましたが、観光ビザでは働けないことでビジネスを閉じました。
〈学生ビザ時代〉
挑戦できる環境に居続けたかった事で、観光ビザが終了と同時に学生ビザに切り替えました。
少しでも長くシドニーで暮らせるようにするにはどうしたらいいのか?と考え、ビジネススポンサービザを目指そう思うようになりジャパレスで働いたこともありました。
だけど全く取れる気配なし。。。毎日の学校と仕事だけの往復、、家賃払って学費払ってするので時間もお金も精一杯。
ついにお金も底つき、もーこれ以上長く住むことは無理か、、、、と半分諦めかけていました。
でも今の夫から「オーストラリアに残って欲しい」と愛のサポートを受け、学生ビザを延長することになりました。
あの時、彼がいなかったら私は今このブログを書いていないです。
学生ビザを延長して、彼と一緒に暮らすようになり、心に少し余裕がでてきた頃、
「ローカルのカフェ」で働きたいという気持ちがどんどん大きくなってきて、友達や彼に相談していました。
27歳 世界一の朝食を作る

そんな時、ワーホリ中に出会った飲み友達の紹介で『世界一の朝食』で有名なビルズレストランで働けることになりました。
キッチンで働いた経験のない私はもちろん最初は皿洗いからのスタート。
流れてくる残飯を見ながら、
これは何?英語で何て言うの?
とシェフたちに聞きながら夢中で覚えた記憶があります。
学生は働ける日数が少ないので給料も微々たるもの。
学費も生活費も稼がないといけない不安の中でしたが、これまた彼の愛のサポートのお陰で
ユックリ腰を据えて学校に仕事に専念できました。
感謝です。
経験は自信を与えてくれる
その結果がんばりを認められ、働き出してたった三年で
本店の副料理長を任されるようにまでに成長。

この経験は大きな自信を与えてくれました。
もともとは皿洗い。
料理の知識なし、英語力もほぼ無かった状態でスタート。
それでも「自分はできる」っていう自信だけはありました。
その自信はどこから?
それは過去の経験からでした。
海外に出てきて
右も左も分からず、ゼロからスタートし、辛くても諦めずに前に進みつづけ、
出来ることを積み重ねてきたから得れたのだと思っています。
そのガンバリは周りにも信頼というカタチで伝わりました。
周りの人から「このポジションで働いてみないか?」と新たなステップアップの機会を与えてもらい、挑戦しつづけれました。
挑戦することで自分の成長を実感
また日々できることがどんどん増えていく、そして成長していく過程が見えたり感じれたりできるのは、とても楽しいです(*^▽^*)
それはまるで初めて自転車に乗れた時の子供のような感じ。
何回も倒れて怪我して、それでも乗れるようになる自分を感じながらチャレンジし続ける。
そしたらいつの間にか、遠くまで自転車のペダルを漕げてた。。っていう感覚です。
夢ストーリー?
その後はトントン拍子でパートナービザを申請して、国際結婚、妊娠、出産、永住権習得。
そして今に至ります。
まさか自分が永住するとなんて思わなかった25歳。
日本で自分の生活、環境を変えたくてシドニーに来ました。
一年で帰る予定だったのに。。シドニーで暮らしだしてもう早9年。
人生何があるかわからない。
だから楽しい。
32才 現在 『自分らしく生きる』

改めまして、日本脱走ブロガーmaikoです。
私は25歳の時に日本で暮らしてた環境を変えたくて海外へ一歩を踏み出し、シドニーにきました。
環境が変わったお陰で180度人生が変わりました。
どう変わったかと言うと、、、
- 今まで出来なかった事ができるようになった
- 悪い習慣にサヨナラできた
- 世界中に友達ができた
- 家族関係が良くなった
- 外国人の彼氏できた、国際結婚した
- 誰かと比べる自分じゃなくなった
素の私で自分らしく生きれるようになったと思います。
今は出産を機に、型にハマらない働き方、生き方を始めました。
簡単に言うと。。。
- 家族を優先したい時には優先できる
- ありのままでいられる
- 好きなことを仕事にしている
子供ができるまでは、シドニーで永住がしたいという思いから、
自身の実績と経験を積む為に、時間もエネルギーも全て仕事に費やしました。
その結果、素敵なパートナーにも出会え永住権も習得できました。
その事により、今はお金の選択肢、時間の選択肢、場所の選択肢も増え、
自分の未来、子供の未来、家族の未来がとても楽しみです。
最近は1年に1度~2度、日本に帰ります。
「今度は家族でこんなことしたい」「家族と旅行も行きたい」としたいことも増えて、あれだけ嫌だった日本なのに今は帰るのが毎回すごく楽しみです(*^^)v
日本を離れてみて気づく日本のいい所、そして日本の家族の大事さがあります。
もちろん悪い所もですが。笑
ぶっちゃけます
日本でまだいた頃、狭い固定概念の中、言いたいことも言えない環境で、生きるのが苦しく、まるで瓶の中にギュッギュッと詰め込まれて蓋をされている感じ(息苦しいってことです)でした。
そんな環境に我慢できず、日本を飛び出して誰にも縛られないシドニーへ。
しかし、海外に出ても外国人という事でいろんな事に縛られるという現実。
海外生活に夢見ている人は多いかもしれません、私もそうでした。
しかし海外に来たから、全てがHAPPYなわけではありません。ここは日本じゃない国で言葉も人も文化も法律も違います。だから、私も初めは本当に鬱状態になるほど苦しみました。
それに、ここ最近、オーストラリアでは法律が変わったり、物価が上昇したりして
暮らすことが大変になってきているのも事実です。
特にワーホリや学生ビザを利用してオーストラリアに渡航する人はそこは理解しておいてください。
このブログではそんなリアルな話もしていくので、
これ見ても行きたいなあと思ったらまず相談下さい!!(*^^)v
当サイトmaikoshinohara99.comに込めた思いとは。。。

私は、青々とした空と海が大好きです。
それは見て分かるように無限大だからです。
人生もまた空や海のように無限大と思ってて、たくさんの可能性があると信じています。
私はもともと、日本では事務員とホステス。だけど色々な仕事にも挑戦してきたし、パートナーは日本人でなくてもいいんじゃんって海外に出てきて実感しました。
- 何かを始めるに遅いはない
- 途中でやーーめたって方向転換することもある
- 同性の人を好きになることもある
- あれもこれも、したいことだらけ
そんな人生があってもいいじゃんって思います。
自分が好きな事(=したいこと)に時間もエネルギーも使う生き方の方が絶対に楽しいし、
自分の成長に繋がっていくと思います。
わたしが好きな言葉でこんな言葉があります。
楽しい人生(LIFE)を創造する(Creative)ことができるの自分!!
あなたの人生を創造するヒントになればいいなと思いこのブログを創りました。
私のブログからは
★これからシドニーに来る人または住んでいる人に役立つ生活情報
★生き方に迷いココロもカラダも消耗している人に、
こんな働き方や生き方もあること
を発信していけたらいいなと思っています。
いつか「このブログを読んでシドニーに来ました」と言って貰えたなら、
是非お茶会したいです☆彡
シドニーで不定期ですが、カフェ巡りが好きな人と一緒にカフェを巡っていま〜す☆彡

興味がある方はメッセージください☆彡
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只々、感動です❗️素晴らしい勇気ですね❗️
私はこの4月から、メルボルン10ヶ月間滞在するアラカーヌです。One of my baketlist 又は、年寄りの冷や水 って事ですね。 とても勇気をいただきました、ありがとう
初めまして!!コメントありがとうございます☆彡
4月からメルボルンとのことで、もうすぐですね!!
ワクワクドキドキの10ヶ月になりますね!!どうぞ楽しんできてください☆彡