ロックダウンの規制もだいぶん緩和されてきて、子供たちとよく行く公園も人が多くなってきました。だから人が多いところはなるべく避けたいなと思い別の公園を探すかーと車を走らせていました。
ざっと早み表
いつもと違う事をしてみると気付くことがある
そんな時にパッと目に入った公園があって、住宅街だから車もそんなに通らないし、何よりも人がいないから今日はここで子供たちを遊ばせよう
といつもは通り過ぎてしまう公園に行きました。
公園に着くなり目に入って来たのは、物凄く高く伸びている木。(写真の真ん中)
その高さとその周りの木たちの青々とした葉っぱに圧倒させられました。

そしてそこにいるとなぜか心穏やかなんです。そう言えば最近気がつけば自然と木に目が行く自分。
だから、木についてちょっと調べてみたんです。(だからって言うのもおかしいんですが気になったので)
なぜ自分がこんなに木に魅了されているのか?
そこに何か意味があるのかも。。
木とスピリチュアルな関係
そしたらとても興味深い記事を見つけたので、ここに書き留めます。
エネルギーの表現であり、磁場の表現もする自然物であり、エネルギー感受をそのままに受けて、そのままに表す。(この時点でとても素敵)
エネルギーが強い場所では、木のエネルギーも強まり、変化する。
- 宇宙のエネルギーのある場所の木は上へ上へと伸びる
- 磁場が強い場所の木は形が異形になり、ネジネジになる木もある
- 波動が高い場所の木は大きく立派になる
木はその場のエネルギーを表す為、昔の人は木をみて神社を建てたと言われている。
確かに神社の境内などに大事に祀られている御神木がありますよね。そのままをそのままにする自然の象徴となる存在が、木。
そのままをそのまま受け入れる

でもその日は風が少し強かったので早めに帰宅しました。
また次の日にご近所の友達親子とその公園へ
友達と会うのは凄く久しぶりで親も子供も大喜び!
「どうしてたの?元気してた?ホームスクリーングは大丈夫だった?」
みたいな感じで親同士も色々と話すこといっぱい。いーっぱい色々なことを話して、子供も遊んで帰宅しました。
あーやっぱり誰かと話すって本当に大事。
思いは一緒でも思考の違い
そんでね、その日に友達に言われたのが、
「私、まいこちゃんの言う「しゃーない」を学びたい」 ですw
※しゃーないとは仕方ないという事です。
どう言うことかと言うと、
- 子供のテレビ時間が増える→ ロックダウン中で一日中家にいるのだからしゃーない
- 寝る時間が遅くなる→ 外にもほとんど行けなくて体力有り余ってるんだからしゃーない
- 旦那と喧嘩が増える→見なくていい所が見える時間が増えるのだからしゃーない
- 子供が手に負えない→子供もストレスが溜まっているのだからしゃーない
これらのしゃーないが私の考えです。
これに対して友達は、どうしたら自分の思考から抜け出せれるのか考えたり、ググったり。(=今まで出来ていた事が出来ないようになって、それに対して仕方ないって思えないって事)
私たちに共通しているのはこの状況をいい方向に変えたいと思う気持ち。
でも私と友達は違う思考のアプローチです。
友達は私みたいな考えになれないって言います。でも、学びたいって言う気持ちがあるってことは、私のような考えになったら状況は良くなるのかもって感じているのかな?て私は思いました。
だから友達にこう伝えました。
「しゃーないって思えないありのままの自分をまずはしゃーないって受け入れる事からやってみたら?」
すると友達は「なるほどね、考えた事もなかった」と答えました。
オーストラリアの子育て

「出来ない事をできるようにする考えは間違ってないけど、出来ない事よりもできる事を伸ばす」
日本で育った私はいつも出来ない事ばかり怒られて、出来ない所を伸ばすようにとばかり教わりました。
だから学生時代はしんどかった。。
だけど、オーストラリアで子育てをするようになって、できる事を伸ばす考えを知りました。そういう考えをなぜ親もしてくれなかったのだと思ったりもしたけど。まーそういう時代であり、そういう国であり、そういう親の考えだったんでしょう。
だから自分の子育てはオーストラリア方式です。理由は自分が嫌だったから。
子供のいいところを伸ばす方が子供にとっても親にとっても健康的w はっっぴーです!
「人を変える事はできないけど自分を変えることはできる」
この言葉は聞いたことあると思います。この言葉の根本的な考えに受け入れる事じゃないかなと思うんです。
今までの出来ない自分を封じ込んで蓋をしてしまうよりも、今までの自分の考えもまず受け入れる事で自分を大事にできるし、また相手の事もそう思えるようになるではないかなと。
最後に
今回、新しい公園に行きとても大きな木を見つけた事で、最近自分が木に魅了されてる事に気づき、木について調べてみると
そのままをそのままにする自然の象徴となる存在が、木
と知りました。何一つとして同じ木が存在しないように、
私たちも木と同じようにそのまま自分をまず受け入れる事から自分だけの人生を創っていけるのではないかと
と思ったので書きました。
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