今日から子供たちの学校が始まり、やっと落ち着いて自分の時間を今堪能しています。
子供といれるのは幸せです。だけど自分がしたい事があってなかなかそれに注げる時間も体力も無くなるとやはりストレスに感じることもあります。
そして、子供や旦那にきつくあたってしまう。。そしてまたそれに罪悪感を感じる、、、
そんな事の繰り返しがこの1ヶ月続きました。
だから今、やっと自分の時間を作れて、コンピューターの前の椅子に座れてブログを書ける、もっと言えば自分がしたい事に没頭できることは幸せだなと感じます。
そんなこんなで今年もスタートして、去年を振り替えってどんな一年になったか今日はだらだらと書いてみようと思います。w
ざっと早み表
去年を一言で表すと「挑戦」
去年の初め、友達にどうしても「この日に一年の抱負を語る動画を作りたい」という事で、二人でどんな一年にしたいのか?と話す動画を一本撮りました。
友達は英語がとても得意で自分の母国語の日本語と英語の言語と声を生かして人様のお役に立ちたいと語りました。
そしてその友達はその言葉の通りに大きな舞台に立ち英語と日本語を使いバイリンガルMCを幾つもやり遂げ、またオンラインではナレーションの仕事、そしてモデル活動も始まりと幅広い分野で活動するようになりました。
その彼女の活動ぶりは近くで見ていても本当に尊敬するし、憧れてもいます!絶対にむりだけどねw
そんな無理と言いながら憧れを持つ私の去年の抱負はチャレンジする事でした。
2年前から映像制作に興味を持ち出して、映像について勉強していくうちに、動画作りが楽しくなって子供のお友達のお誕生会や親戚のウェディングパーティーなどの動画を作ったら、みんなに「ありがとう、感動したよ」と喜んで貰えたり、全く今まで知らなかった人にも出会えるきっかけにもなってもっと映像を創る事の先を見て見たい!!!
と思うようになっていました。
だけど私って三日坊主のところもあるんです。この前まで好きと言っていたのに、全く違うことしてるとか、興味がなくなっているとか。。
だから取り敢えず一年間はその映像に向き合って、その先にあるものを見ることにしたんです。
東北大震災復興イベントに携わる
挑戦すると言った矢先に、知り合いの方から声をかけて頂き、シドニーで行われた東北大震災復興イベントの映像制作をさせて頂く機会に恵まれてたくさんの方に映像を見て貰い喜んでいただきました。
本当に感激感動でした。快感!!!!w
自分が作る映像でこんなにもの人が涙した、感動したと言ってもらえるって今までの人生の中でなかったから余計にだと思います。
その当時撮影機材に使っていたのは私の携帯でした。w
それでもチャンスを頂けたことに心から感謝です。
転機が訪れる
でも動画を作れば作るほど、やっぱりもっと良い映像が撮りたいなと思うようになってきてて、そんな時に、年の初めに一緒に動画を撮った彼女から「自分のプロモーションビデオを作りたいから作ってくれない?ビジネスとして」とお願いされました。
これが私の運命の輪が動くきっかけになったんです。
その映像制作はもう一人のクリエイターの男の子としたんですが、その彼は私より全然若いです。でも彼の映像を作る才能は半端ない!!
だから彼が作る映像が大好きで、とても尊敬しています。そんな彼と一緒に彼女のプロモーションビデオを制作する機会を彼女がくれたんです。
一緒に作るのめちゃくちゃ楽しかったし、もちろん尊敬する人とするのだから勉強になります。
でねその彼が言ったんです。
「まいこさんは早くカメラを買った方がいい」
私ももっと綺麗な映像を作りたいとは思っていたので、これが後押しとなり旦那に話をして撮影機材を購入することに賛成して貰いカメラを買いました。
そこからはカメラについて猛勉強して、練習して、作品作っての繰り返していました。
シドニーがロックダウン
ある日、友達から「動画を作って欲しいって言ってる人がいるんだけど」って言って貰いました。よし撮影がんばろうと思ってた矢先にシドニーは長〜いロックダウンに入りました。
毎日、人にも友人にも会えない、一緒にいるのは子供だけ。。。あぁぁぁあ動画制作する予定だったのに。。。と悔しかったです。
でもまー仕方ないと気持ちを切り替えて、
今度は子供の写真を撮ったり、動画を作ったり、ドローンを飛ばして映像作ってSNSで発信、YouTubeで映像制作のチュートリアル動画を投稿したり
なんやかんやとすることはたくさんできました。
ロックダウン中に見えた光
すると、またある日「動画制作をお願いしたいです」と連絡を貰いました。その方は前に友達から「動画を作って欲しいって言ってる人がいるんだけど」と言っていた方からでした。でもロックダウンで出歩くことできないし、当然撮影なんて無理だしと思っていたら、
その方(彼女)がこう言いました。
「携帯を使って遠隔で撮影をしてみない?」
分かりますかね?彼女の撮影を彼女の携帯を使って、私が撮影の構図などを電話越しで指示する。
そして私が映像を繋ぎ合わせて作品にする。
私も携帯を使って撮影はしてきたので、どんな構図がいいのかは大体分かるし、家からできる撮影も面白いと思って挑戦してみました。
映像は三つほど作り終えて彼女のビジネスの映像作りをお手伝い出来たことでまた喜んで頂き、こういう映像制作もできるんだと実感し、またビジネスとしても機能していけるのかもと思い始めました。
ビジネスとして活動を始める
それからは、ロックダウンも解除されて、取り敢えずカメラを使って練習がてらにポートフォリオ
動画を作ったり、初めて動画制作のチラシを作って配ったり、名刺を作ってみたりもしました。
一見無駄なことのような気がしますが、私はやってみて本当によかったなと思っています。
無駄なことは一つも無い
チラシを持って公園で一人一人に声をかけて回る。でも拙い英語でなかなか伝わらない、まず話しかけるのに勇気がいる。
そんな事を久しぶりに?シドニーに来た当初レジメを持って店に入っていくような感覚で自分の英語力の無さを痛感しました。
それからは友達に英語のレッスンをして貰ったりして少しは公園で話しかけるのも緊張がなくなり、お店に入ってチラシを置かしてもらうお願いもできるようになりました。
お店のドアを開ける時、公園で話しかける時に一番力になったことは子供たちの顔です。
「ママ頑張れ」って言ってくれている顔を想像するととても力が湧いてきて足が前に一歩また一歩と出ました。
こういう自分がした経験をいつか子供たちに話したいなと思います。
オーストラリアと日本を融合したイベント
年末近くになり、知り合いの人から連絡が来て今度はイベントがあるんだけど、そのイベントに出る着物クラブの撮影をしてみない?っというものでした。
このイベントを簡潔に説明すると、オーストラリアと日本を繋ぐイベントです。って短すぎるかな?w
日本の伝統芸術や商品をオーストラリアの人に紹介したり、
オーストラリアの伝統アボリジニーの音楽をオーストラリア人のお客さんと一緒に楽しむ。
そして私が撮影班として入らせて貰った着物クラブ(internatinal kimono club sydney)は、アボリジナルアートと日本の着物を融合し、それを花魁道中で歩くショーをしたんですが、
撮影中、感動でカメラを握る手も震えました。
動画を見返しながら編集している時、その感動がどこから来たのか分かったんです。この着物ショーは日本とオーストラリアの伝統が融合されて新しい価値がそこに生まれていたからだと思います。
こんな素晴らしいイベントにスタッフとし入れたこと、携われたことは本当に有り難い事だし、たくさんの気づきを貰いました。
幻想を超えて現実化してくる
元々オーストラリアと日本の架け橋になれることをしたいと10年前から思っていました。
でも何をする事で自分はそれを実現できるのか?
それを2021年はやっと見つける事が出来たのかもしれません。
「映像制作を続ける先に何があるのか見てみたい」と2021年は挑戦してきました。
やっていて嫌になることもなく、もっと良いもの作りたいと思う一心で走って来れました。
その途中でたくさんのご縁を頂けオーストラリアと日本を繋ぐイベントにて映像制作できた事で、
映像制作なら自分が思い描いていた架け橋になれるのかもしれないと希望を持ちました。
それが年末に感じた事です。
また2021年は映像制作を通じて自己表現をするツールでしたが、今年2022年はもう少しステップアップして自分が得たスキルを生かして社会に循環、貢献していきたいなと思っています。
なが長々と書きましたが、ここまで読んでくれてる人がいたら奇跡!w
この2022年は社会に貢献していくです!!そしてテーマは「自然」
ママの挑戦これからも続きます。
引き続きよろしくお願いします☆彡
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